ドーハ (Baladīyat ad Dawḩah)
カタール半島東海岸のペルシア湾に面する港町で、同国最大の都市. 中東有数の世界都市でもある. 人口は約64万人で、外国人労働者を含めると約240万人(2019年). カタールの人口の60%がドーハ都市圏に住んでいる.
町は1825年に「アル・ビーダ (Al-Bida)」という名で設立された. 後のダーハの市名は、アラビア語で「大きな木」の意味で、カタール半島の東海岸の漁村(今日のドーハの元になった)にあった大木に由来する. 1825年、アブダビに支援されたバーレーンとの戦争で、新しい町は大きな損害を受けた. その翌年、オスマン帝国はサーニー・ビン・ムハンマドをシェイク(シャイフ)に任命、後にカタールの首長(ハキム)になる. 1882年には市の南西部に砦が建設され、その翌年にはオスマン帝国との武力衝突に勝利した.
1916年にはイギリスのカタール保護領の首都となった. 1917年、アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニーによって市の中心部に要塞が築かれた. 20世紀初頭まで真珠と漁業が主な産業であったが、1930年代に日本で真珠の養殖が開発されると、カタールの真珠産業は壊滅、不況で飢餓まで起こった.
1949年より石油の輸出を行うようになり、1971年には独立に伴いカタールの首都となった. 1996年には衛星テレビ局アルジャジーラが放送を開始した. 2001年には世界貿易機関 (WTO) の第4回閣僚会議が行われ、ドーハ宣言が採択された(ドーハラウンド). 2006年にはアジア競技大会が過去最大の規模で開催された.